支援二日目に入り、拠点病院外へ出ることに。我々の担当は、東松島。日本三景のひとつ、松島近くの集落。津波で壊滅的な被害を受けた野蒜地区の方々が逃れているという避難所へ。まずは役所に行くべくカーナビを頼りに運転していくと、突然道が途切れた。
本来は道が続いていたであろう、そしてそこには集落が広がっていたであろう地域が水没している。その中にぽつんと取り残された車が一台。被害の甚大さをまざまざと見せつけられた。Uターンして別な道を通って役所へ。その後、野蒜地域の人たちが逃れているという避難所へ。
他の避難所もそうだけど、どこも誰かがきちんとしたリーダーシップをとり、そして被災者同士が協力しあって自主的な運営がなされている。中学校の校舎を利用したこの避難所は、教室毎に区分けがなされ、物資の割り当て、トイレの管理・維持などがきちんとされている。この中で、被災者の健康管理をしていたのは、自身も被災した看護師さん3人。皆の健康を気遣いながら日々被災者の世話をしていたという。当初は情報収集のみの予定だったが、我々の姿を見て涙を流さんばかりに喜んでくれた。周辺から孤立していた地域のために満足な医療が受けられず、だんだんと追いつめられていたらしく、急遽予定を変更して臨時診療を始めることに。
避難所のリーダーは3階の音楽室を空けましょうと提案してくれた。グランドピアノの上には支援物資が積み上げられ、モーツァルトやベートーヴェンの肖像画の下には毛布が敷き詰めてある。黒板の前方、少し床の高くなった教壇に机と椅子を置いて臨時の診察室とした。被災地に支援に来て、音楽室やピアノと自分が関係するなんて・・・とまたもや目頭が熱くなる。
早速診療開始。次から次へと体調の不良を訴える方々が。普段なら症状を冷静に聞くだけなのに、なぜそうなったかということを必然的に尋ねないといけない。そこで語られる惨事の状況。あまりにもひどい・・そして、「ぜーんぶ、無くしてしまった。命以外は・・」とそれでも微笑みながら語る老女の言葉に、不覚にも涙してしまう。とにかくできるだけのことをしなければ、適切な医薬品をちゃんと提供することが自分のミッションと言い聞かせ、もくもくと診療を続ける。
避難所内の往診も含めて、午後4時前に80名あまりの診療が終わった。少しは役に立てただろうか・・と考えていたところに、被災者の方から我々スタッフにおにぎりの差し入れが。発熱して調子が悪いにもかかわらず、避難所のサポートをしている中学校の女先生が家に戻ってつくってきてくれたとのこと。
「保存食を持参してきているので、皆さんで分けてください」と何度もお断りしたが、「宮城のコメはうめぇんだから!ほら!」と差し出してくれる。ご飯を口にするのは二日ぶりだったし、ご好意に甘えて有り難くいただいた。中に梅干しの入ったおにぎりは確かに美味しかった。こちらが救援に来たはずなのに、逆に人々の優しさに触れるなんて。
最後に避難所で頑張っていた看護師さんが僕に、「今はこんなナリだけど、今度はもう少しキレイな格好しておかねば!」と笑いかけてくれた。いえいえ、今の姿はじゅうぶん美しいですって心の中でつぶやきつつ、避難所を後にした。