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As you know, "Pianist/Composer/Surgeon"

横浜トリエンナーレ2014  

 展覧会など、いつも会期終了ギリギリになってレポしててあまり参考にはならないんかもしれないんだけど、悪しからず(笑)。11月3日まで開催されている現代アートの祭典「横浜トリエンナーレ2014」。
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 今回はアーティスティック・ディレクターに現代美術家森村泰昌氏が起用され、タイトルは「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」というもの。たぶん、ふか〜い意味があってのことなんだろうな・・とは思うけど、特に解説本とかで予習もせずに飛び込んだので、いまいちピンとこない。
 まずは、メイン会場となる横浜美術館前の作品。
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 ヴィム・デルボア「低床トレーラー」(2007年)
 鉄筋を使ってゴシック様式っぽく作られたトレーラー。雨に煙るランドマークタワーとマッチしていた。館内に入ると・・・
 正面のスペースにデーンとおかれた巨大なゴミ箱。
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 マイケル・ランディ「アート・ビン」 (2014年)(写真左の作品)
 これは参加型の作品で、未完成だったり失敗作のアートをここに捨てることができるというもの。う〜ん、「忘却」と絡めてのゴミ箱なんだろうなあと理解しつつも、僕の頭の中は??? ちなみに、写真右に見えてるカラスも作品の一つ。
 難解な作品が多い中、ちょっと目についたのがコチラ。
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 関西のドヤ街:釜ヶ崎で開かれている釜ヶ崎芸術大学からの出展。芸術性が高いとかそういう評価基準ではなく、様々な立場の人が自分の思ったように表現しているという点では興味深かった。
 写真撮影OKの作品も多かったんだけど、僕の頭の中はずっと???っていう感じでカメラを向ける気持ちになれず。唯一ピンときたのが・・・
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 サイモン・スターリング「鷹の井戸(グレースケール)」 (2014年)
 能楽に触発されて制作した踊り手のための劇「鷹の井戸」(1916年のロンドン初演)のためにデザインされた衣装を、記録資料を基に再現したもの。少し照明を落とした中に設置されてて、妙な迫力があった。何か見ただけで背筋がゾクゾクっとくる感じで。
 この後、新港ピア会場にも行ってはみたんだけど、やはり???っていう感じは続いてた。現代アートなんだから、頭で理解しようなんて最初から思ってないものの、何かこうハートに届くものがないっていうか・・・
 最後に改めてディレクター:森村氏の解説を読んでみると・・・

すべてを見終わった旅人(観客)が、最後に目にするのは、茫漠たる忘却の海である。それは記憶や情報がおよびもつかない、広大な世界である。旅人はこの忘却の海へと漂流する。それぞれの到達点を探し出す、それぞれの旅がここから始まる。
語らぬこと、語ってはならぬこと、語りえぬこと。見えぬもの、見てはならぬとされるもの。とるに足らぬ出来事、なんの役にも立たぬ行為。
これら記憶世界にカウントされる値打ちもないと判断された無数の記憶されざる記憶達に目を向ける旅。私達のまなざす力を育む旅。
ヨコハマトリエンナーレ2014 が目指すのは、そんな心の旅物語である。

 そう、我々が価値を見出す情報というものは、忘れてはならないもの、そして語り継がれるべきもの。それをポジとすれば、ネガとなるのは忘却されこの世に存在しないことにされている数多のもの。つまり、我々は価値なきものを無意識に捨て去り、自分に都合のいいように世の中を見ているにすぎない。逆に、捨て去ったもの(=忘却したもの)をこれでもか!と眼前につきつけられると、どう処理していいかわからず途方にくれてしまう。僕が感じた???っていう言葉にならない感覚は、まさにこういうものだったんだと。
 だから、何かいいもの見つけたいな〜とか、とにかくイイね!って言いたいね〜っていう気持ちで横浜トリエンナーレ2014には行かない方がいい。自分が忘れ去ったものたちの声が響き渡る、魔界迷宮を旅するような体験になるはずだから。僕は知らず知らずのうちに、まんまと術中にはまってしまったけど。