帰りがけ、ちょっと遠回りにはなるけど会津若松に立ち寄った。東日本大震災後の医療支援に現地入りしたとき、東北道が寸断されていたために新潟から磐越道を通って会津の手前で降り、磐梯山を右手に見ながら山形県米沢へと地道を北上していった。あの時、車内で聞いたラジオ放送の内容を今でも覚えてる。その後、福島第一原発事故による放射線被害もあり、天災だけではなく、人災とも言える福島の歴史的背景に強く関心を持った。
折しも、NHKの大河ドラマ「八重の桜」がちょうど前半の佳境に入りつつあるところ。明治維新の激動を敗者の側から描いたもので、福島に背負わされている負の側面が多くの人に知られるようになってきている。なので、自分の目で会津若松を見たいと思ったわけ。
ただ、時間は殆どなかったため立ち寄ったのは二箇所だけ。一つ目は、「野口英世青春記念館」。野口英世が火傷後に拘縮した手の手術を受けた旧会陽医院を、カフェと資料館にしたものだ。実は、子供の頃に野口英世の伝記を読んで、結果的に僕は医者を志した。なので、実際に野口英世が医学の勉強に励んだ場所(2階の資料館)に立ってみると格別に感慨深いものが。
そしてもう一つは鶴ケ城。戊辰戦争時、会津藩が籠城を続けて最後まで新政府軍に抵抗したのは有名。現在の建物は昭和40年に再建されたもの。そして、平成23年には幕末時代の赤瓦に葺き替えられて往時の姿が蘇った。
天守閣最上階からは会津の街が一望できる。白虎隊が自刃した飯盛山も。八重もまた、こんな風景を城内から見ていたのだろうか・・と思いを馳せる。
他にも色々会津若松に関して感じたことがあるんだけど、書きだすと長くなっちゃうので今回はここまで。興味ある方は、僕に直接尋ねてください(笑)。