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Oui! Friends..

As you know, "Pianist/Composer/Surgeon"

モナコGPから始まって

 世間的に言う5月病ってわけじゃないと思うんですが(笑),ちょっと最近疲れが出てて..OJFのことも峠を越えたようでまだまだだし,自分の仕事に関してもやること一杯あるし..そんなことを考えてるとふーっとため息をつくようになってたんですね.だけど,ちょっと気分転換をしなきゃと思って,この日曜日に久々に本屋へ行き欲しかった新刊の文庫本を買ってきました.梅田持夫さんと茂木健一郎さんの対談本です.フューチャリスト宣言 (ちくま新書)この二人は色々な意味で今注目を集めてますけど,とにかくポジティブな内容で,かなり元気が出ました.ネットの「偶有性」にはやはり新たな可能性があるなあと改めて思いましたね.そんなわけで,このブログもコメント大歓迎しますのでよろしくお願いしまぁす!
 さて,最近よく考えてるのは「違和感」っていうタームなんです.10代の頃なんかはとにかくとんがってたから,自分が「違和感」を感じるのではなく,他人に「違和感」を感じさせることが快感みたいなところがありました.しかし,今くらいの不惑の年代になってくると,自分の方が「違和感」を感じるようになってきたんだなあと思う反面,この「違和感」はいいものなんだろうか,果たしてよくないものなんだろうかと考え込むようになってきました.
 
 この「違和感」を感じるには以下のパターンがあると思うんですね.
 1:世の中が変わったのに,自分は変わらないから最近の出来事に関して「違和感」を感じる.
 2:自分はどんどん変化していっているのに,廻りはあんまり変わらないから「違和感」を感じる.
 3:自分には理解できない行動パターンや,思考をする人が出現して「違和感」を感じる.
 4:道徳的,道義的にこうあるべきと思う基準からずれたことがあると「違和感」を感じる.
 5:概ね賛同できるんだけど,微妙なところで同意できないところで「違和感」を感じる.
 
 他にもパターンはあるかもしれないけど,日々の生活の中でこういうちょっとした「違和感」を感じることが増えてきました.その一例なんですけど,一昨日の晩にF1モナコグランプリを見ていた時,そして見終わったときに,何か様々なタイプの違和感と高揚感を感じました.なんか,妙な感じで混乱してしまったので,自分の頭の中を整理する意味でも書かせてください(笑).(大変長文になっておりますので御注意ください!いい加減にとばし読みしてくださいね)
 
 まず,僕は故アイルトン・セナAyrton Senna da Silva Memorial Museum)が大好きでした.セナが1994年5月1日のサンマリノグランプリで事故死して以来,あまりF1のテレビ放映を見なくなってました.その後はミハエル・シューマッハー全盛期になったわけなんですが,どうも違うなあと思ってたんですね.つまり,タイプ1の違和感です.昔はよかったなあ,あるいは思い出の中に生きるみたいな感じですよね.
 で,昨年フェラーリシューマッハーが引退するかどうか,ルノーフェルナンド・アロンソと争っていたときに,セナ亡き後のF1をシューマッハーが一人で引っ張ってきて,かつセナのお墓に彼が毎年お参りに行ってるということを知って,なんかシューマッハーいいやつだなあ,アロンソに負けずに頑張れとちょっとだけ応援してました.その後,アロンソがワールドチャンピオンになってシューマッハーは引退しました.
 それで,今年のF1です.アロンソもまだ26歳と若いのに,もっとすごい新人が出てきました.アロンソと同じチームでルイス・ハミルトン23歳(Lewis Hamilton)です.イギリス出身ではあるもののF1初めての黒人ドライバーということでも注目を浴びてます.このハミルトンがすごいんですね.本当にいい走りをしてます.モナコGPのスタートは1位アロンソ・2位ハミルトンだったのですが,途中ハミルトンが猛追するんですね.セナの走りを彷彿とさせるような,何かやってくれそうな感じがしました.
 で,このときにアロンソの立場になるとどうだろう?って考えたんですね.ようやくシューマッハーがいなくなって俺の天下になったと思ったら,すぐにこんな強敵が出てきて..それも自分より年下で同じチームの車に乗ってて..世の中って報われないのかなあ..そんなタイプ5の違和感を感じました.
 だけど,そんな違和感はさておき,すぐに僕はハミルトンの走りに夢中になってました(笑).一時はかなりアロンソを抜きそうになってたのに,チームの方針で予定外のピットストップをハミルトンは余儀なくされ,それ以降は両者の差は縮まりませんでした.チームが勝つためにはしようがないけど,もう少し公平にレースさせてやればいいのに..と,このときタイプ4の違和感を感じました.
 そうは言うものの,やはりチャンピオンのアロンソは立派だしさすがだ.あのハミルトンをよく押さえてノーミスで最後まで走りきったなあ,すごくいいレースを見させてもらったなあと思って,F1のファンサイトなんかを見てみると,意外とつまらなかったっていう感想が結構多いんですよ.結局何も起こらなかったじゃないかと...ここで,タイプ3の違和感を感じました.
 しかし,待てよ・・と考えました.僕はただ自分のセナに対する思いをハミルトンに投影してただけなんですね.様々なチームを応援している人がいるわけで,F1は一部のトップチームやドライバーの争いだけじゃないですしね.
 
 すんごく長々と書いてしまったんですけど,結局この様々な「違和感」と「共感(シンパシー)」との間を何度も揺れ動いているんですね.逆に言うと,僕の抱いた「違和感」はかっちりしたものではなく,非常に不安定なもので,いつでも「共感」(分かり合えたと言い換えてもいい)に変わる得るものだということです.しかし,F1という遠い世界のことでは,ちょっとした「違和感」をすぐに「共感」へと修正できるものの,現実の特に自分が属している社会で感じたリアルな「違和感」はかなり確信犯的なものであって,そう簡単には元通りにならない厄介なものでもあります.「違和感」にいいも悪いもなく,なかなか「共感」できない自分の方が問題なのかなあとか思った次第です.
 
 そんな役にも立たないことをうだうだ考えていたんですが,こんな僕にもひとつ救いがありました(笑).大好きなアイルトン・セナオンボード映像(F1の走行中の車から見た映像)を編集した動画を見つけました.

 この3日間で,一番僕に「違和感」なく,最初から「共感」できたものでしたね!BGMはジャズで,セナと一緒に走ってるような気分にさせてくれます.作者はイタリア人みたいですが,世界のどこかには非常に限定的な局面において「共感」できる人が必ずいるって信じることができるのは幸せなことだと思いますね.では,また!