このブログを書こうと思ったきっかけは,web2.0という言葉に関心を持ったからです.最近のネット関係の変化はすさまじく,インターネット草創期の頃からネットにつきあってきたと自分では自負していましたが,今ではすっかり置いてけぼりになってしまったような気がしていました.いつかは自分だけのホームページを創りたいと漠然と思っていたら,世の中はブログ,RSS,フィード検索といった時代に変わっていました.ネットからは色々な情報を得ることができるようになり,口コミ情報などもわかって便利な時代になったもんだなあと思っていると,逆に今度は自分も検索されるようになってきました.実際,日々の仕事の中で僕が応対する若い世代の人達は,事前・事後に僕のことを検索しているようです.つまり,情報を気軽にネットで得られるということは,逆に自分の情報もネットに流れているということですね.
IT革命といった言葉で代表されるweb1.0の時代から,個人が情報を発信していくweb2.0の時代に移り変わっていく中で,どういうふうに身を処していくかということを真剣に考え直さないといけないなと思うようになりました.先頃,某新聞社が発行するガイド本にも自分のことが掲載されたのですが,それに顔写真を出すか出さないかで,掲載されている人の個々の判断が別れました.別に有名人でもないのに顔写真が載ると何かと不都合だと考え,写真,経歴その他を公表しないというのもひとつの考え方だと思います.個人情報をどういうふうに守っていくか注意していないと,知らぬ間に自分のことがネットに流れ出る危険性があるからです.
ただ,そうやって頑張って個人情報の情報統制をしていても,どこかで限界があるでしょう.実際,僕はこれまで積極的にブログなどを公開してはいませんが,すでに自分の仕事に関する業績やプライベートの活動などがアップされています.ここからここまでは公開するけど,これはダメといった基準をつくるのは非常に困難であり,全面的に公開するかしないかのどちらかではないかと考えるようになりました.
先日,「web人間論」という本を読んだのですが,その中で梅田望夫さんが興味深いことを書いておられます.「膨大になればゼロに近づく」このフレーズに大変衝撃を受けました.(何か禅問答のようですが,この文脈に関しては実際に本を読んでみてください.僕なりの理解で以後は書きます.)人は誰でも自分だけのものを大事にします.自分しか知らないもの,他人には手に触れて欲しくないもの,そういう大事なものは沢山あります.もし,その大事にしているものが何かのきっかけでネットに流れ出した場合,自分の意図しないところで他人がその情報を入手することになります.昨今,個人情報の流出がよくニュースになっていることからもわかるように,一生懸命情報を統制していても人間のやることですから上手くいかないこともあります.すなわち一つのことを徹底的に守り抜くという戦略は,それを大事に保っておくという観点からするとあまり得策ではないのではないか,逆に大事なものに関する情報を沢山出した方が,逆にきちんと大事なものを守ることができるのではないか,それがネット世界をサーバイブする方法ではないかと考えるようになりました.
また,きちんと情報を公開することで,逆に自分自身のことをもっと客観視できるようにもなるのではないかとも思いました.こういうブログに文章を書くということは,日記のような体裁ではあるものの,ネットの向こう側にいる誰かにも問いかけているということになります.ある特定の個人に対して何かを伝えるのではなく,大勢の前で自分の考えをスピーチするという感じに似ています.それが「公開」するということであり,「公開」するからにはそれに値するようなことを考え,かつ行動しなければなりません.古い言葉で言えば,身を律するということですね.ブログを書くというプライベートな作業を通して,自分の身を律し正していく,自分の考えていることを相対化し客観視していく,これはこれまでになく新鮮な体験だと思いました.
ちょっと長くなったのですが,こんなことをあれこれ考えながらようやくブログ作成の決心をつけました(笑).
当面は,今関わっている「おかやまJAZZフェスティバル」の進行状況を,このブログを通してできるだけ公開してみようと思っています.イベント企画というのは現在進行形であるため多少あやふやな情報も出していくようになると思います.いつかきちんと決まったら皆に公表しようと思っていると,いつまでたってもオープンにできないものです.そのときには,こう考えていたけど今はこう考えているといったことを,後から言うと言い訳になります.別に朝令暮改であってもいいじゃないか,そのときには真剣にこう考えていたんだから・・といったスタンスで何でも書いて行きたいと思っています.
その過程で,自分はこういう場合どのように考えるのだろうか,またそのときの判断はよかったのか悪かったのか,自分の行動パターンを客観視しながらひとつの練習問題として取り組んでみたいと思っています.