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Oui! Friends..

As you know, "Pianist/Composer/Surgeon"

思い出のキーホルダー

 3ヶ月ほど実家の鍵をなくしていた。9月のライブ前のこと。色々なことがあってばたばたしていて、どこに置いたのか記憶も曖昧で、あちこち探したけどわからなかった。もう、諦めないとと思ってた矢先、今日たまたま見つけた。というよりは、鍵の方から出てきてくれたといってもいい。
 車の後部座席に、沢山のCDディスクが入った袋をゴチャゴチャに置いてて、それを何気なくひっくり返していたら、ひょこんと鍵が出てきた。まるで、もうそろそろかくれんぼはお終いといった具合に。ベネチアに行ったときに、母に買った小さなお土産。それには不似合いな紫の毛糸で母が鍵を結びつけていた。
 取るに足らないものであっても、そこには何かしら物語がある。まだ失っていなかったんだって心の中ででつぶやいた。

ギフト色々


 母の誕生日にと花屋さんへ。他にも届け物があって慌ただしく各所を巡回。別に自分が何か貰うわけじゃないのに、何となく気分が高揚する。季節外れのサンタさんになったような気分で。
 人に何かを贈りたいという気持ちになれるのは、逆にその人から多くのものを貰ったと感じてるから。そういう自分にとってプラスの思いは、その人にだけお返しをすればいいというものではなく、また別な人に何かを贈りたいという気持ちにさせてくれる。だから、贈ることでありがとうって思える。
 うん、僕なりの感謝を込めてこのギフトを。

悲秋


 週末は抜けるような青空。その分今日はぐっと冷え込んだ。本格的な冬到来かと思い、とうとうダウンジャケットを引っ張り出す。木々に残る色づいた葉に秋の名残りを感じるが、それももうしばらくの間だろう。
 「秋は士悲しむ」と言い、「憂愁」は文字通り、秋の心を憂うと書く。今のうちにしっかり感傷に浸るとするか。

闇と光


 遠くから眺める街の夜景が好きだ。地上の星とはよく言ったもので、人間の営むところに灯がともる。明かりを灯せばその分CO2が排出されるから、エコロジカルにはよくないことだけど、闇の中に光りがあるからこそ、闇の意味がある。
 カミュの「異邦人」で、主人公ムルソーは、「太陽が眩しかったら」と事件の動機を語った。あまりにも強い光のもとでは、本来光の当たらないところにできる影すらも意識できない。
 闇の中では光を願い、光の中では闇を想う。不夜城の如き場所から、そんなことを考えた。

 

雨あがる


 昨晩から降っていた雨も朝にはあがり、色づいた木々の葉が道路に散っていた。紅葉を楽しむ間もなく、いつのまにか秋から冬に移り変わっていくんだろう。
 仕事柄、時間や季節を感じることなく、日々が過ぎていく。時の過ぎるのを忘れるくらい色々なことが起これば、自分の中では時が止まっているように感じる。でも、現実には確実に時間は過ぎていき、自分はただ取り残されているだけのようにも思う。
 朝のひととき、そんなことを感じながら、フロントガラスの雨粒を拭うことなく車を走らせた。