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tetsuyaota.net

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Oui! Friends..

As you know, "Pianist/Composer/Surgeon"

物語の力

 ピアノトリオライブの翌日、OJFの副委員長であり、僕のライブをいつもサポートしてくれてるYさんの講演へ。
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 タイトルは「亜公園が残したもの・物語の力」というもの。亜公園とは明治24年頃に岡山市北区神町に存在した、日本初のテーマパーク。(以前の紹介記事はコチラ↓)www.tetsuyaota.net
 Yさんは、この亜公園に関連した事柄を様々な角度から検証していて、今回のイベントは明治時代の文学にスポットを当てたもの。
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 いつもながらの軽妙な語り口と魅力的なスライドで、つい内容に釣り込まれる。フムフムと頷きながら拝聴していると、急にYさんが僕のことを語り始めた!
 「昨日、とあるライブがあって、その場で演奏していたOという男が、曲紹介のついでに『十五少年漂流記』という作品に関して話していて・・」
 90人程度いた聴衆の中で、僕のことを知っている人なんてほぼいない状態だったから、注目を浴びることはなかったんだけど、何故?どうして??と困惑。で、Yさんの話を聞いていくと、ジュール・ベルヌ作『十五少年漂流記』(『二年間の休暇』のタイトルもあり)を、日本で初めて訳し明治29年に出版したのが、岡山県笠岡出身の森田思軒なる人物。亜公園そのものはわずか5年間ほどしか存在しなかったけど、同時代に生きた人として、森田思軒は恐らくその存在を知っていたに違いないという推論。
 そうなんだ!小学生の頃、夢中になって読んでいた本を岡山の人が訳していたなんて!それも明治時代に!
 Yさんが提示していた森田思軒訳版の一節は・・(出典ウェブサイトはコチラ

武安《ブリアン》は徐《しづか》に身を起して、再び舵輪《かぢわ》に手をかけながら、 「然り、呉敦《ゴルドン》」と答へて、更らに第三個に向ひて、「しかと手をかけよ、杜番《ドノバン》、 沮喪《そさう》する勿《なか》れ、餘等は餘等の一身の外に、更らに思はざるべからざる者あるを、 忘るべからず」、又た黒人の子を顧みて、「莫科《モコー》、汝は怪我せざりしか」。 黒人の子「否な、主公《しゆこう》武安《ブリアン》」。

 周密文体と言われる、ある意味逐語訳的なもの。当時の日本人は漢文の素養があり、英語を始めとする欧米の文法と主語・動詞・目的語といった形態が似ている漢文になぞらえて訳している。これが、森鴎外の『舞姫』で使われている擬古文とも通じる優雅な格調を生み出している。

石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと靜にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ來る骨牌(かるた)仲間も「ホテル」に宿りて、舟に殘れるは余一人のみなれば。(舞姫の冒頭)

 話を『十五少年漂流記』に戻すと、僕が読んでいたのは小学館から出版されていた少年少女世界名作文学全集。
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 一人っ子&鍵っ子だった僕は、こういう冒険物語を読みふけっていて、いつもあれこれ空想をしてた。ライブMCでも話したけど、放課後に学校近くの裏山にあった洞穴に立ち寄り、友達とともに洞穴の中で過ごしていたのもその影響。「ロビンソン・クルーソー」、「トム・ソーヤーの冒険」、「十五少年漂流記」を真似て(笑)。
 今となっては、何てバカバカしいことをしてたんだろう?と思わなくもないけど、現在に繋がる僕の課外活動って全部ここから出発しているような気がする。糸の切れた凧みたいに、あちこち一人旅をするのが好きだし、OJFの活動やオリジナル曲のライブ演奏をやり続けているのも、これまで見たこともないようなワクワクする体験を求めてるんだなって。で、Yさんにシメシメって思われるかもしれないけど、これってまさしく「物語の力」じゃない?って、ふと思ったんだよね。この厳しい御時世をちゃんと生き抜いていくためには、数多くのリアルな経験が必要ではあるけど、物語に乗せられての思い込みでやっちゃいました〜的なノリもありかも。明治時代に亜公園を作った人たちも、恐らくそうだったんじゃないかなあ(^^)。