本日、鳩山首相が大方の予想を裏切って辞任表明をした。昨日までは政権維持に意欲ありと報道されていただけに、少なからず驚く。
政治の世界は魑魅魍魎が渦巻くものだろうし、オープンにはできない様々な理由があったんだろう。しかし、どんな小さな集まりでも一旦トップ(リーダー)になったからには、最終的にはその人なりの信念で動くしかない。
僕自身、OJFの委員長を辞める覚悟をした時があった。2008年の8月下旬。その時点では、OJF-7のチケット販売が思うように伸びず、多額の赤字を計上する可能性ありと考えていた時期だ。自分の考えた企画がうまく行かないのであれば、個人的に何らかの補填をすることを前提に、責任をとって辞めようと真剣に考えていた。
このときに相談したのは二人。一人は僕の友人で長らくOJFを支援してくれた企業の社長だ。彼は言った。何らかの問題が持ち上がった場合、それが形式的な人事ではあっても、トップは担当部下をその部署から辞めさせないといけない。組織を維持するために、非情な決断をして困難な事態の収拾をはからなければいけない。
しかし、翻ってトップ自身のことを考えると、様々な問題に対しての責任が全て自分にあるにせよ、誰からも辞めなさいと言われないし、逆に自分から辞めるとも言えない。辞めるに辞められない、トップとはそういうものなんだ・・・と。
もう一人は、当時の事務局長Yさん。トップが格好つけて切腹するような辞め方をしても誰も喜ばない。かえって、仲間を見捨てたと思われるし、残されたメンバーは辛くなるだけだ。恥をしのんで、皆と危機意識を共有できるように努力するべきじゃないか・・・と。
二人の言葉は重かった。やっぱり、ここで放り出すわけにはいかない。どんな結果になるかわからないけど、やれるだけのことをやってみよう。その時に考えたのが「胸いっぱいの『LOVE』」っていうキャッチコピーだった。
幸い、その後チケット販売は徐々に上向き、何とかOJF-7を無事終えることができた。このときの涙の一因でもあったエピソードだ。
トップであるがために、有言不実行であったり期待された結果が出せなかったりすると、その批判を一身に浴びなければならない。だからと言って、臆して何も語らなければ誰からも信頼されないし、支持もされない。結局は、身の丈にあった言葉をきちんと語り、そして達成できなければ愚直に反省をし、責任感を持って仕事をしていくことでしか、他人の理解を得られないのではないか。
僕自身、この経験を通じてずいぶん成長させてもらったと思ってる。本業においてもトップになることが特にいいもんだとも思わなくなったし(笑)。
だけど、この国にはやはりトップは必要。次のトップは誰になるのかわからないけど、おそらく僕みたいな人間が、仕事の成果よりもこの難局での判断力を注視してるはず。事の大小はあっても、そういう判断をするのに皆苦慮し、その痛みがわかっているはずだから。
(OJF-7、JAZZ meets ART VOL.2 ルネスホール前にて)