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Oui! Friends..

As you know, "Pianist/Composer/Surgeon"

老いてなお前向きに  

 このブログでOJFのことや自分のことなどを書いているうちに,だんだんと自分の仕事すなわち医療に関係することも書かなきゃなあという気持ちになってきました.新たに「medical」というカテゴリーを追加したので,今回はプライバシーの許す範囲内で書いてみますね.

 1ヶ月ほど前にある高齢の患者さんを紹介されました.これまで病気ひとつしたことのない方だったのですが,腹部に大きな腫瘍ができていました.献体といって,死後自分の身体を医学解剖に使って欲しいと登録されており,なおかつ既に遺言状まで書かれていました.つまり,自分の行く末を自分できちんと判断できる,非常にしっかりとした方でした.僕は外科医としてどのように治療を進めていくべきか迷いました.臨床的にみると,何とか切除できるぎりぎりの状態でした.しかし,手術にはかなりのリスクも伴うし,最悪の結果を招くことも十分考えられました.僕は外来診察室で1時間ほどかけて,様々なケースに関して説明をしました.具体的にこのようにしたら切除できると思うが,うまくいかない可能性もある,最初から手術をしないという選択肢もある・・隠し立てすることなく説明をした後,患者さんは帰られました.僕は,これだけしっかりした方だから,まず手術を断られるだろうと思っていました.診察室では,「いったん,この身体にメスを入れたらもう献体はできませんなあ.ハッハッハ」と笑われていたからです.
 数日後,再度この患者さんが外来へ来られました.「どのようにされますか?」と尋ねると,「手術をお願いすることにしました」と言われました.そして,バッグの中からノートを取り出して,「つきましては,年取った頭にもわかるように,もう少し詳しく説明してもらえんでしょうか」と言われました.そのノートには,看護師のお孫さんから借りて読んだという解剖学の本をスケッチした絵が描かれていました.僕はこのときかなりびっくりしました.こちらから絵を描いて説明することはあっても,逆に患者さんから,それもかなりの高齢の方からそのような形で質問されるとは全く予想していなかったからです.後に,その患者さんから一通の手紙をもらいました.そこには,手術を決心した心情が書かれていました.以下に引用します.

 「今,私は生に執着するのではなく,天命あるがままに「今日一日生きていて良かった」と思いながら日々を迎えたい気持ちです.したがって,今度の病気を克服するというよりは,私が私であることを自認し感謝する日が一日でも長いことを願うのみです.ですから,術後不良が例え95%でありましても,残り5%に望みを託し,もし成就すれば人生最高の収穫という思いです」こういう心境でありながら,自分の下した結論に責任を持つためにきちんと勉強され,なおかつ理解しようと努力されていたんですね.

 手術は10時間あまりかかりましたが,その後順調に回復して元気に退院されました.術後の経過を診る中でその方と色々な話をしたのですが(というよりは,教えてもらったという感じです),老いるということは決して何かを失っていくことではないんだと思いました.生きていれば苦しいことに直面することもある,しかしその都度全力を尽くして前向きに対処していく,そんな姿勢をこの方から学んだように思います.