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Oui! Friends..

As you know, "Pianist/Composer/Surgeon"

J叔父さんが呼んでいる  

 福井在住のJ叔父さん(名前の頭文字でここでは表記、亡き母の弟にあたる)が亡くなられたとの報が三日前に届いた。ちょうど、今週の日曜日に先祖墓のお参りをしてきたばかりだったし、J叔父さんがもしかして僕を呼んでるのかなと思い、何とか葬儀に参列すべく仕事を調整。幸いにもたまたま予定手術は入っておらず、外来の予約患者さんも快く変更に応じてくれた。やっぱりね、普通ならこんなにスムースにいくことないし・・・で、昨日、始発の新幹線に飛び乗って福井へ。
 27年前に父を亡くした時、J叔父さんは真っ先に福井から岡山まで駆けつけてくれた。当時、僕は広島で研修をしており、突然の訃報を聞いて真夜中に帰岡。父の亡骸を目の前にして呆然と立ち尽くしていると、J叔父さんは「てつや、辛いなあ、残念やなあ・・」と僕の手をしっかりと握りしめながら慰めてくれた。その瞬間、父の死が現実のことなんだと実感し、J叔父さんの手を握りしめたまま人目もはばからず泣いたのを覚えている。その後数日間、J叔父さんは福井に戻らず岡山に逗留し続け、意気消沈している僕を何くれとなく励ましてくれた。思い出すと、今でも感謝の気持ちで胸が一杯になる。
 それから6年後、福井で学会が開催されている機会を利用して、お礼方々J叔父さん宅を訪ねた。と言っても、逆にご飯とお酒をたっぷりとご馳走になり、晩はJ叔父さんと枕を並べて休ませてもらった。翌日は、足羽山という花見の名所でJ叔父さんが営んでいた「呑平茶屋」に招かれた。山頂から福井市街を眺めつついただいた、名物の田楽とおろし蕎麦の味は、今でも忘れられない。
 下の写真は葬儀会場に飾られていたもので、僕が訪ねた半年後に撮影されたもの。豪快かつ人情味のあるJ叔父さんと、いつも影から支えていた叔母さんとの幸せそうな光景。僕の記憶にあるJ叔父さんそのままだ。
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 一昨日、職場に妙興寺瀬戸内市長船町)の住職:岡田先生を招いて医療倫理に関する講演をしていただいた。先生は、死をどうとらえるか?という問題に関して、「死は終わりではない。死者は(この世に)存在しなくても、(死者との)関係は残る。」と話された。肉体としての死を迎えても、その人と結んだ関係や記憶は無くならない。そう考えると、関係や記憶をきちんと残し、かつ伝えていきさえすれば、死を超克することができるのではないか・・?
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 葬儀が終った後、帰りの列車まで少し時間があったので、福井駅から足羽山まで歩いてみた。道すがら「元気にしとったかぁ」と福井訛りで優しく語りかけるJ叔父さんの笑顔が目の前に浮かんでくる。もう、足羽山の「呑平茶屋」は閉店しているけど(下に福井のウェブマガジン「天晴本舗」の取材過去記事をアップ)
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今は、息子さんが「呑平」という名前を継いで別なお店を営んでいる。名物の田楽に添えられた「呑平の味みそ」も作り続けているらしい。そう、やっぱり「終わり」ではないんだ。J叔父さんとの関係は僕の中で無くならないし、血筋がら「呑平」ってことにも変わりがないし(^^)・・と思いながら、福井駅まで再び歩いて戻った。