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Oui! Friends..

As you know, "Pianist/Composer/Surgeon"

悪魔の囁き  

 昨日、驚愕するようなニュースが駆け巡った。全聾の作曲家:佐村河内守氏が創作したと言われる一連の作品が、全てゴーストライターの手によるものだったと。2012年12月、交響曲「HIROSHIMA」に感銘を受け、皆様に紹介した僕も一言申し上げておきたい。
 本日にも実際の作曲者による記者会見がなされるようだし、詳細な経緯が明らかになると思う。だけど、事此処に至っても僕自身は交響曲「HIROSHIMA」の価値が損なわれるとはいささかも考えてはいない。曲の背景にあるとされた様々な物語(本来は曲にとって不必要なもの)がマスコミによって過分にPRされた傾向はあると思うけど、そんな色眼鏡で曲の価値を判断するほど聴衆はバカじゃない。あの第三楽章で示された救済のメッセージを、多くの人々は真摯に受け取ったはず。仮に、それが別に佐村河内守のものでなくとも。こんな時代に、あのような新作の交響曲に巡り会えたことは本当に幸せだと思うし、東日本大震災という稀有の大災害を経験した日本人にとってある種の贈り物であっただろう。
 多種多様な情報や多くの類似品が駆け巡る現代において、オリジナルであること、すなわち自身の作品が唯一無二のものであることは重要なアピールポイントだ。ピアニスト・作曲家の端くれとして僕も重々承知しているし、稚拙ではあってもオリジナル曲を作り続け、自ら演奏することにこだわってる。しかし、一旦世に出した作品はもはや作曲者だけの所有物ではなく、すべからく公共のものとなる。逆に言えば、過酷な状況の中で多くの人々に支持された作品だけが、作曲者が誰であれ永遠に生き続けることができる。別に自分の名前が後世に残らなくたっていい、そういった作品を生み出せることこそが創作者の歓びであり、だからこそ佐村河内守ゴーストライターが嵌った罠にもなり得たのだと思う。創作の神がいつのまにか悪魔に姿を変えて耳元で囁く罠に。
 彼らが見失っていたものはその曲を受けとめてくれる聴衆という存在。音楽のみならず芸術作品を創作するのはいったい誰のためなのか。そこを考えれば、今回の問題に対する解決方法は自ずと見つかると僕は信じている。
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<追記>
 ゴーストライター(新垣氏)の記者会見を録画で見た後、この本文を書いた時とは若干心境が変わってきている。音楽に限らず芸術作品というものは、その背景がどうあろうとも作品そのもので評価されるべきだと基本的に僕は考えているけど、最低限守らないといけないモラルはあると思う。会見を見る限り、新垣氏は徹頭徹尾ゴーストライターだった。まさに、それ以上でもそれ以下でもなく。そして、日本人的な忠実さでゴーストライターとしての職責を全うしようとしていた。まるでこれが自分の仕事なんだと言わんばかりに。彼の中では、自分なりの「善」をアピールしたつもりなのかもしれないけど、創作者としてのプライドは全く伝わらず大変残念だった。せめて、ゴーストライターとして作ったものではあるけど、これらの楽曲には全て自分の魂が宿っているくらいのことは言って欲しかった。
 そして今、改めてこの二人の罪深さを感じる。不幸にして佐村河内氏が語るような身体的障害を背負わざるを得なかった人達、あるいは震災という抵抗のしようもない現実に傷つけられた人達に、一連の楽曲が一時でも希望を与えたのは紛れもない事実だ。しかし、それが全て虚偽の上に成り立っていたならば、楽曲によって僅かながらでも希望を抱いた人達に、はかりしれない失望を味わわせることになる。考えれば考えるだけ口惜しいし、音楽という限定的な問題にしかコメントしなかった自分の浅はかさを反省している。