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Oui! Friends..

As you know, "Pianist/Composer/Surgeon"

白洲次郎とNOVA友

 昨晩,OJF実行委員会のミーティングがあったんですが,今回の「予想ガイ!」な事態(OJFの運営は? - The Life and Music Crossroadの前半参照)について,岡山市側責任者の方と話し合いました.僕も委員長であるという立場からどういうところをOJF実行委員会として遺憾に思っているかということを真剣に説明したんですね.ただ,責任者の方も立場がありますから,話はなかなかまとまりません.で,だんだんと険悪なムードになってきたわけです(笑:でも笑いごとじゃないんですけどね・・).

 立場というのは決してその人自身を表しているものではないですよね.立場上,このように言わざるを得ないことは多々ありますし,この立場になったからこんなふうに感じるということもあるわけです.ただ,どんな立場になろうと,その人自身がそんなに変わるわけではありません.最近,白洲次郎の「プリンシプルのない日本」という本を読んでいるのですが..
プリンシプルのない日本 (新潮文庫)
白洲次郎は,戦後の混乱期に占領軍と堂々と渡り合った骨太の日本人として有名です.彼は「プリンシプル」(原則)という言葉が好きで,

日本語で言う「筋を通す」というのは,ややこのプリンシプル基準に似ているらしいが,筋を通したとかいってやんや喝采しているのは馬鹿げているとしか考えられない.あたり前のことをしてそれがさも稀少であるように書きたてられるのは,平常行動にプリンシプルがないとの証明としか受け取れない.何でもかんでも一つのことを固執しろというのではない.妥協もいいだろうし,また必要なことも往々ある.しかし,プリンシプルのない妥協は妥協でなくて,一時しのぎのごまかしに過ぎないのだと考える.日本人と議論していると,その議論のプリンシプルはどこにあるのかわからなくなることがしばしばある.(中略)こういう議論をいくらしても西洋人はピンとこないだろう.

というように書いています.

 立場や立ち位置に固執するのは,日本人的な「筋を通す」ことであり,皆に受け入れられる「プリンシプル」ではないと僕も思います.責任者の方とは,最終的に立場を超えてお互いの率直な気持ちを伝えて,現実的な話を前向きにしていくことで一致しました.今日,その方に昨日の話し合いに関するメールを出したところ,非常に好意的な返事が返ってきました.最終的に,物事を解決していくのは立場上の見解ではなく,個人個人の思いではないかと改めて感じました.

 そんなことを考えながら,ふと思い出したCMがあります.

 英会話学校NOVAのCMなんですが,動画はこちらを参照してください(NOVA CM Superior and subordinate - YouTube

上司 : 山下君、きみねぇ・・これ、また同じミスだよ。

山下 : すいません・・・。

上司 : 何度言ったらわかるの?

山下 : すいません・・・。

上司 : いや、すいませんじゃないよ。いい加減にしろよ!まったく!!(怒)

山下 : はい・・・。

(場面が変わって)

山下 : Hi, Take-Chan.

上司 : Hi, Yama-Chan.I'm sorry I said too much today.

山下 : No no, please. We are Nova-Tomo, right?

上司 : Oh, that's right. We are cool.

山下 : Yeah, we are cool.

二人 : Ha-ha-ha-ha.

 この二人にはNOVA友ならではというプリンシプルがあるんですよね(笑).NOVA友なんだから,仕事上のトラブルは仕事で終わらせておいて,NOVAに来たら仲良くやろうよっていうプリンシプルです.

 まあ,何でもかんでもNOVA友だって片づけたらいけないんでしょうけど(笑)..

 ちょっと自分の立場・見方を変えて考えてみる.しかし,自分自身のプリンシプルは曲げない.その上で納得するまで話し合う.一戦終わったら,また手をつなぐ.そんなのって結構いいなって思いました.