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Oui! Friends..

As you know, "Pianist/Composer/Surgeon"

Shine  

 自分で言うのも何ですが,ブログを書くのも結構板についてきました(ほんとかよ?(笑)).やはりブログというのは,リアルタイムに情報を発信するということが大事だと思いますね(その方が反響も大きいですし..).ただ,ネットが普及する以前のことって,よっぽど有名なことでなければほとんどネット内には記載されてないんですね.ネットに書かれていないことは存在しないみたいになってしまうのはどうかと思うので,今回も語り継ぎたい昔話を書きます.

 キース・ジャレットのケルン・コンサートを聴いた後に,ソロピアノ即興演奏ライブを「Play Bach」で始めたわけなんですが,最初の2年間はほぼ一人っきりで活動してました.ただ,だんだんと口コミで噂が広がって色々な方とおつきあいするようになってきました.当時,「Play Bach」で毎週金曜日に僕は演奏していたのですが,土曜日にはジャズコンボが入っていました.それが,岡山の老舗ビッグバンド「Page One Jazz Orchestra(ペイジ・ワン・ジャズ・オーケストラ)」の抜粋メンバーだったんですね.数回,そのコンボでも演奏したことはあるのですが,当時のドラムスIさんのエルヴィン・ジョーンズのようにグルーブするリズムに全く合わせられられなかったのを覚えています.

 「Play Bach」以外にもあちこち演奏しに行きました.児島線沿いにあったジャズ喫茶「むべ」のマスターには,「君のピアノは独りよがりだねえ」と言われました(笑).(今は焼き肉屋をされています倉敷のライブハウス「アヴェニュウ」のママさんには「なかなかおもしろいわね」と言われました.(それから何年かたってアヴェニュウで演奏したのですが,当時のことを覚えていてもらって感激しました)

 そういう中で一番印象に残っているのは「Shine」(シャイン)です.柳川交差点の裏(今では高層マンションが建っている北側)の野田屋町にあったジャズ喫茶です.元々は,Nさん(岡山ジャズ界の重鎮,現在は倉敷珈琲館をされている)が1971年より始められた店でした.僕が通い始めたころは,2代目マスターのKさんに代わっていました.

 Shineには,とてもいい音の出るグランドピアノが置いてありました.夕方くらいになるとミュージシャンがふらっと集まってきて「ちょっとセッションする?」ってな感じで演奏を始めたものです.僕は,大学の授業にはほとんど出ず,朝から晩まで「Shine」に入り浸っていました(試験勉強もほとんどお店でやってましたね).マスターのKさんは,そんな僕を気に入ってくれておいしい珈琲の入れ方,プレーンオムレツやチャーハンの作り方など,一人でお店を始めることができるほど(笑)色々なことを教えてくれました.そんなわけでベーシストだったKさんが演奏の仕事に行ってる間,僕がお店の切り盛りをしていました.

 ただ,ジャズのことに関しては一切Kさんは教えてくれませんでした.ビル・エヴァンスのレコードがよくかかっていて,「聴いてみていい感じと思ったらそれでええんよ」と難しいことは何も言わなかったんですね.ただ,せとうち児島ホテルでKさんと一緒に演奏する機会があったのですが,メロディアスなベースラインの上で,気持ちの良いソロをとることができたのを今でも覚えています.理論も大事だけど,ジャズを感じるマインドが大事なんだなとその時に思いました.大学を卒業して広島に行くことになったとき,Kさんから餞別にと写譜ペン(音符を書くのに適した万年筆)とShineのロゴが入ったコーヒーカップをもらいました.その後お店は閉店しましたが,僕はこの時に体験したジャズ好きな仲間との空間をOJFを通じて再現できればと考えています.